走馬灯最後の一枚
どうも。
ここで生きてるず オリュウです。
この作品について少しだけ。
「旅路果てる街」のMVというか、リリックビデオ的なモノを制作した。この作品は楽曲を完成させるためのピースのひとつ。曲と、ぼくの記憶と、あなたの辿ってきた人生を重ねてはじめて完成する。今作はその中の"ぼくの記憶"の部分なので、映像の撮影から編集まで自分で行った。映像的に何かアクションがあったり、目立ったストーリーがあったりするワケではないので、決して面白いものとは言えない。けれど気持ちを100%詰め込んだモノって、だいたいこうなる。お時間ある方はぜひ、じっくり観てほしい。
映像について。撮影は古いデジカメ1台を手持ちで。手振れ補正もナシ。Fujifilmのデジカメは、あんまりクッキリと色が映らない。青や緑が淡く優しく表現されて、たいへん性に合う。ただ如何せん古いので、ピントが合い辛いし、電池もすぐ無くなるし、設定もうまくできない。ちょっと不便なくらいが愛おしいけれど。撮影地は、ぼくの故郷高知と、故郷までの行き帰りの道中。数枚だけ大阪市内で撮ったカットも。大阪から岡山まで鈍行で向かい、そっからバスで高知に。高知はよさこい祭りの時期。街中を中心に、ルーツを辿りあちこちで撮影。そんで高知から大阪まではバスで一本。車窓からの眺めと、SAでちょこっと撮った映像など。それらをほぼ調整ナシで(さすがに真っ暗なカット等はいじった)繋ぎ、歌詞を入れて完成。サイズはHD。
今年の夏はゆっくり一週間くらいかけて、ひとりで帰省した。
いままで生きてきた時間と、これからの人生との境目に区切りをつける事を決めていたので、産まれ育った街をじっくり見渡してきた。もうこの先しばらくは、ひとりで故郷をゆっくり歩く事は無いから。郷愁あふれるこの街に、いつか胸を張って帰れたらいいなとボンヤリしながら、カメラを片手に景色を集めて歩いた。
たぶんぼくの表現のルーツの中で、特に大きい部分は、海と花火とお祭り。ぜんぶこの街で見てきたもの。ミニアルバム「にんげん」のジャケットにはそれを全て詰め込んで描いた。荒波が立つ太平洋は、キレイだけど怖さみたいなモノを持ってる気がしている。雄大な自然を前にすると、ヒトは人間がちっぽけである事に気づく。それと同時に、沸々と湧き上がってくる生命力。この街の活気あふれる人達や、熱の高いお祭りも、たぶんそんな環境から生まれたのだろう。
それを全部閉じ込めたかった。なるべく自分の手で、なるべく見たまんまで。だからこの作品は自分で作った。もっと高画質で、もっと精巧に綺麗に作ることはできる。でもこの作品には必要ない。出来上がったモノは、淡くて凪のような風景が、じんわり流れていく映像。コントラストは低く、色味も鮮やかではない。だけどこの作品こそ、楽曲「旅路果てる街」を完成させる為に必要なモノのひとつ。楽曲とこの映像に、あなた自身の記憶を重ねて、各々の頭の中で完成させてほしい。
旅路果てる街、まだ何処になるか分からない。
ただ今は生まれ育った故郷が、旅の終着点の一つになればいいな、というくらいに思っている。

2024.10.29 ツアー新潟 (日記)
金沢で1日オッフ。
しっかり金沢カレーも食べて大満足だやっぱ良いねこの街は…
そうして金沢にて、THEあろーんず ヒロトの家に2日間も不法滞在した我々は、グッスリ眠り回復した体で車を北へ進める。新潟までの道のりは、何時間もずっと日本海の海沿い。穏やかな波はあまり見覚えが無く、やはり知らない景色だなと。市内に着くや否や、ツカサはでっかいベースアンプをご購入。邪魔だけどカッコ良い。
はじめての街、新潟。大変滾っている。だって、ここから新しい歴史を作らなければならない。
本日の対バンは、この場所を繋げてくれたTHE KING OF ROOKIE、クマモモコ、七瀬美菜、市ノ瀬 瑠莉。バンド2組、アイドル2組、弾き語り1組パット見、異色の対バンでありながら、結果としては芯の通ったとんでもない一日になった。店長の翔さんは、
GOLDEN PIGSは繁華街の交差点にその存在感を大きく鎮座している。建物内に3会場が入っている。今回の会場はBLACK STAGE。音はたいへん良い意味で、おパンクな音。ズゴーっと直で響きつつも、各パートがしっかり聴こえる。ドーン!!!っていうバンドを聴くには大変気持ちがいい。(そんなバンド以外も聴いてみたいが)
トップバッターの市ノ瀬さんから会場のボルテージは最高潮…。本当にビックリするほど高いグルーブのままイベントが進んでいく。こんなね。演者、お客さんみんなが頭から最後まで、1つのイベントを作っていくような日。あたりまえのようで、なかなか作ることが出来ない。ツアーならではの一日。イベントにおける、ぼくが待ち望んでいた1つの形かもしれない。
打ち上げは美味しいお米やお魚を贅沢に頂いた後、GOLDEN PIGS名物()のビアガーデンに。真夜中のビアガーデンには冷たい風とキングオブルーキーのギャグ雑談が、朝まで吹きわたっていたそう。
はじめて足を運んだこの街。ここから歴史を刻んでいくのは自分次第。やはり、通い続けなければ記憶はつくられない。記念すべき1回目。ここで終わらせないように努める。それだけ。
p.s.
新潟の米は、本当に光っていた(物理的に)。コシヒカリかは分からんけどかなり美味しかった(^^)

2024.10.27 ツアー金沢 (日記)
金沢は今年に入って通い出した街。
確実に、街との歴史が増えていくのを感じる。
金沢の街って、思ったより落ち着いていて雅だ。昔からの建物が多く、観光名所も穏やかな場所が多い。川沿いの旧建築物が並ぶ沿いを通ったり、兼六園と金沢城の間を通ってみたりしながら。vanvanV4は駅からは遠い場所にあって、秘密基地みたいだ。ここで日々、人知れずだったり、人知れながらも、大きな音が鳴っている。今日はぼくたちもその一つになるのだ。
本日の対バンは、お馴染みダイスキのTHE あろーんず、the cells、flydays、SOUNDS ERRO...、バク。地元バンドたちが沢山出てくれるライブって、ワクワクする。自身がずっとそうだったから。ぼく自身もたくさん刺激をもらえる。忘れてはいけない、音楽になることへの情熱、みたいなものを思い出させてくれる。vanvanV4はたいへん爆音な為、どのバンドも心臓に突き刺さるような音を出してくる。この箱に慣れちまうと他じゃ満足できなくなっちまいそうな。
金沢でライブをするのは、これで3回目。今年に入ってから通うようになった街。最初は観に来てくれる人はほぼ居なかったが、通い続ければ必ず増えていく。当たり前だけど忘れそうになる。通い続けなければならない。それでも未だに行った事のない場所ばかりだ。まずは、行かなければ。0を1にするも自分次第だと強く思いて。
つぎは初めての街、新潟へ。

2024.10.20 ツアー広島 (日記)
広島って遠いよね~。
広島ALMIGHTYはよく行くライブハウス。オープンしたてのキレイな状態を知ってるから、行くたびに、壁や床やらが少しずつ汚れて、歴史が刻まれていくような気がして少し嬉しくなる。
今日の対バンは、ZINNIA、風駆、大阪からつれてきたThe Dilong。トップバッターのThe Dilongはフルスロットルのライブ&フロアで大暴れ。最強の1番手をありがとう。ヨウスケの高校からの友達でもある風駆はエモーションに言葉を放っていくライブ。ZINNIAはさすがの演奏力と音量で普通に心臓に悪い。そして。ツアー2本目の音をここで鳴らす。このツアーが終わったときに、この音はどう変化しているのか、やはり楽しみでたまらなくなった。
打ち上げの後は、ここで生きてるずと、今谷さんと、風駆と朝4時まで中華屋さんで喋った。昔話をしながらも、お互いの変化や進化を認め合えるのはいいね。確実に未来がある。
ツカサとヨウスケは広島出身。ぼくよりも街との親密度が高いのは当たり前。それに追いつけるようにとはいかないが、なんとなくだがぼくにとっても、この街はこれからもっと大切になっていくような気がする。
p.s.
帰り道で事故った為、レッカーやらタイヤ交換やらで折角の売り上げが砂埃と共に宙に舞った…(^^)。ごめんみんな物販買えください。

2024.10.18 ツアー京都 (日記)
ここで生きてるず
ツアー2024『走馬灯最後の一枚』はじまる
本日はツアー初日、京都nano。
出発の準備をしながら京都に想いを馳せるなど。今から家を出た途端、ツアーが始まってしまい。2回目のnano。落ち着いた色味で整えられた閑静な住宅街のド真ん中にある。今にも景観条例違反で逮捕されそうな派手な色味の我々は未だ京都の街に馴染めず、周辺を闊歩するだけで気を遣ってしまうだろう。
メンバーと集合。京都まで車を走らせ、まず向かうはタワレコ京都店。そう今作は全国流通なので、各地のCDショップに置いてもらっている。遠く離れた場所に自分の作品が売られている。一昔前には夢にも思ってなかったので、こうやって足を運び自身の目で見ることで、ようやく実感する。
対バンはまるで自主企画かのような絶妙なハマり方をして恐れすら覚える。初めましてのZOO KEEPERは歌が良い。前回nanoで一緒にやり大変カッコよかったAkane Streaking Crowdはポップと切れ味が加速。一緒にやりたくて指名させてもらったTHE HAMIDA SHE'S、帯同のFATE BOX。この空間には本物の音楽が宿っている。次のツアーもnanoから始めたくなる。
ここからツアーが始まる。実感半分、空っぽ半分の頭でステージに向かう。
セットリストの1曲目は“旅路果てる街”。このツアーで帰るべき場所を探す。というかずっと探し続けている。地に足つかぬ今のぼくがいつか、本当の居場所を見つけられますように、と。そこから“轍次ぐ街”へとテンポと時間を加速させていく。背伸びをしないと決めた。思ってないことは言わない。のびのびと音を奏でているうちに気づけば終演。
ここで今のぼくたちを観てくれた人達には特に。今日からツアーファイナルまでに転がって広がっていく、新しいここで生きてるずの世界を体感してほしい。
今まだぼくの脳内は、けっこう空っぽ。スカスカのかいじゅう状態。このツアーが終わる頃に、ぼくの頭はどうなっているのか。変化することに恐れが無く、ただただ楽しみでならない。今までは変わることに怯えていた。それが今はこれ。未来なんて分からんはずなのに、確実な何かがある。希望とかかな。
つぎは広島。遠い^_^

空きの空
視界をちょっとだけセピア色にして、秋の入り口をウロウロしてみる。暖かく見える色眼鏡をかけた。春秋は暖色、夏冬は寒色がよく似合う、なんて勝手に思っている。その中でも秋がいちばん暖かい。こんなにも穏やかな気持ちになれるから。
あなたの髪の色が変わるたびに、つられて季節も移り変わる。今日は引越し祝いなんだって。生き急ぐ生活の間で空はまだ暮れなずむ。変わらないモノなんて無いと思い出させてくれながら。そうして過ぎていった季節の1つ1つが、別々の輝きを放っていて忘れたくなくなる。過ぎていく時間に、寂を感じる瞬間が日に日に増えていく。いつまでも不可逆を憂いでいたくなる。
秋の空は高くて遠くて、宇宙との境界も薄くなる。背伸びをせずに虚空を掴むような、やさしい風の温度と相まって心地良い。からっぽになればなるほど、空が遠くなっていく。何をやったって戻ることは無い、今日の景色と香りに思いを馳せながら、ぼんやりと空と宇宙との不可視境界線を眺めている。
いつも近い温度で、同じように季節を歩いていく。いつまで続くか分からない恐怖より、未来が楽しみな感情が勝ることはあまり無かったので、少しずつ胸を張って生きられるような、気がして。
美味しいお肉を食べるなどして幸せな気持ちで書いた日記。

セルフライナーノーツ 1st mini album『にんげん』
こんにちは、人類。
ここで生きてるずは
2024.10.09(水)にTOUGH&GUY RECORDSより
初の全国流通盤「にんげん」をリリースする。
この記事は、アルバムに対する半分ネタバレのようなものなので、読んでから聴くか、聴いてから読むか、一切読まぬか、みんなそれぞれ好きに。セルフライナーノーツなんて言ってはみたものの、そもそもぼくの書く曲は基本的に主語が大きいので、解説もかなり抽象的な内容になる。それでもよければ読み進めてね~。
では続ける。
1. 全宇宙へ…
常闇の宇宙、もしくは真っ白で永遠の空間。とにかく何もない空間の中、遠くの方から命がギラつく音が聴こえる。音は徐々に迫ってきて、膨大で手のつけられないような生命力を見せつける。これは今のぼくたち。突如産声をあげ、宇宙を目指し今まさに発進するぼくたちの姿。渦巻いたり、唸ったり、途切れたりしながらも、その存在を大きくしていく。生命のはじまりだったり、ビックバンだったり。その前兆がこの音だ。
録音の話。基本はギターのフィードバック。それにディレイ、フェイザー、歪みをいじってうねりを作る。ギターエフェクトの類は、細かりリバーブやEQ以外はすべてアンプから出る音を生で録音している。
あと、モールス信号のアルファベットは、ローマ字読みできるようになっている。ヒマな方はぜひ。
2. かいじゅう
この曲は先の7/7に、レーベル所属&先行リリースとして世に出ている。ここで生きてるずが、宇宙へ飛び立つためのアルバムのその1曲目。何を隠そう、今のぼくたちは、ただの"かいじゅう"である。心から"にんげん"になるためには、この世に存在するすべての感情を知らなければならない。悲しくなったり、行き詰ったり、泣いちゃったり。もっともっとあるはずの気持ち。暴れたり叫んだり、モヤモヤしたり。いっそこの街をキミごと踏みつぶしてしまおうなんて。きもちをうまくアウトプットできないうちは、やっぱり"かいじゅう"だ。
うまくやればいい。でもそれって、大人になるって事なのかな。感情の振れ幅に閾値を設けて、それを超える感情はカットすればいい?そうしてしまえば"にんげん"を通り越して遠のいていく気がして。"にんげん"って、かいじゅうとロボットとの間に存在するのかも。今はにんげんになんてなるもんか、大人になんてなるもんか、と細やかに抵抗しながらも、やっぱり誰よりも"にんげん"で在りたいと願う。じぶんにウソをつかないように。気持ちに素直なまま生きてこ~ね~。
3. 三千世界
あっという間の事。だから今までで一番短い曲になった。気持ちって、ほんの一瞬でたくさん移り変わることができる。その一瞬をなるべく永遠に引き延ばせないかなと、思いつく方法は大体これ。音楽になるべく新鮮に感情を閉じ込めて、保存しておくこと。今回はまぁまぁうまくいった。いつ歌っても鮮明に思い出すくらいには。詰め込むことが多すぎて早口になっちゃったけど。
それにしても、大切な場面っていつも一瞬で困る。あなたの横顔越しに見た知らない街の景色。寒くて遠い星空。目を合わせては逸らして。口元を隠して笑うあの人は、世界の全てを知っているのかな。ぼくの知らない輝きをたくさん知っているから。やっぱり遠い星からやってきたのかもしれない。その声に、その目線に、時間の流れごと吸い込まれてしまう。
あなたが穏やかに生きていけない星なんて、間違ってる。あるいは美しい心を持っているあなたが生きるには、この星はゴツゴツしてて歩きにくいし、棘を生やし過ぎていて痛い。今も、自分のせいで誰かの人生を変えたくないとか考えながら小さくなっているかも。たとえそれを相手が望んでいたとしても。にんげんの心に底なんて無いと気付かされて、世界の理にそっとフタをした日の話。
4. 旅路果てる街
旅の終着点は故郷、いつか帰る街のうた。
曲名に“街”をつけたらさ、なんとなく形には、なんとなく作品っぽくはなるが、同時に、否が応でも郷愁へ向き合うべきだ、という責任感のようなものを強く感じてしまう。なので避けがちではあったのだが、むしろノスタルジーに託けず、過去と未来に対して誠実に向き合うべき時に、“街”と付けることにした。
光刺さる街→轍次ぐ街。そして過去と未来を結び付け、いつか帰るべき場所を探すのが、旅路果てる街。今回は、ここで生きてるずの"街"三部作の最終章。太陽の眩しく照らす街を離れ自身で輝くと意気込んだ光刺さる街。離れ故郷を離れ新天地での自身の在り方について歌った轍次ぐ街。今作はさらに過去と現在を激しく行き来し、未来への解像度を高めていく姿を描いている。最終章といっても、現時点を以て旅を終えるという訳ではなく。成し遂げるべき、向かうべき未来を描いた曲。光刺さる街、轍次ぐ街、今作、と段々テンポが遅くなっていくのは、大人になればなるほど、記憶や歴史をしっかりと噛み締められるから。
生活を営むために都会に居ても、内燃を再確認するために故郷に居ても、遠征先の見知らぬ土地に居ても。どこまで行けど帰る場所が見当たらない。しっくりこない。居場所が無く、フワフワ浮遊しそうになる。それはぼくの中身がスカスカで、地球の重力では地に足付けられないからだろう。スポンジ状の心に、これから何を沁み込ませようか。それでも体の芯にあるのは、幼き頃に受けた得体の知れぬ温かい光。この記憶が明日には消えるとしても、思い出の中であの日に連れて行ってくれる。そのおかげでぼくは、重力の薄いこの星でも、何とかギリギリ自分を保っていられるのだろう。
夢には賞味期限がある。昔あれほど叶えたかったにもかかわらず、時間が経ちすぎると、満を持して手に入れたとしても「こんなものか」と味気なくなり悲しくなる事がある。急がなければ、叶えど叶わなけれど、虚しい夢の残骸を積み上げることになる。
夢には消費期限もある。どれだけ想いを伝えたくても、どれだけ恩返しをしたくても、時間が経ちすぎると、その人はもう居なくなる。手遅れになる前に。胸を張って帰るには、叶えなければならぬ夢が多すぎる。時間は限られているという事、誰よりも知っている。だからなるべく前に進まなければならない。
なにより、時間が経ちすぎると、想い出は薄れていく。時計の狭間で微睡むたびに、新鮮な感情も匂いも遠くなっていく。少なくとも今は、生涯のうちに浴びてきた温かい感情を覚えておきたいと願っている。忘れないうちに、薄まらぬうちに、どこかに残しておくことが出来たら。半透明で灰色の、まるで鈍いゼリーの中を進むような感覚。重量を持った空気が身を包む。このまま、どこへ進むべきか。何をやっても中途半端なぼくが、いつか己の表現に包み込まれる日が来ますように。
5. ボーントゥリヴ
ぼくが産まれたのは20世紀。100年刻みの定められた定規に意味なんてないのと同じように、24時間365(366)日で繰り返す毎日に意味なんてないのかもしれない。でも多分なんとなく、本当になんとなくだけど、つまんない生き方はしない方が良い。だからこうやって、人生にムリヤリ節目を刻みセーブポイントを作っている。
地べたを這うようなサウンド。ギターはファズで歪ませた1本。スネアも他の曲と比べると、乾いた音をしている。ここで生きてるずの大半の楽曲は"今"を歌っているが、この曲は少し違って、歌っていると自分自身の人生の軌跡を俯瞰しているように感じる。
勿論、もうハッキリとは覚えていないが、産まれ落ちる直前、神にやめとけと言われた気がした。神の忠告を無視して産まれ落ちたこの星。ここには神なんて居ないのに。
輪廻転生。繰り返して繰り返して。ぼくたちは、無常に繰り返すリフレインのうちのどっかのタイミングに居るってワケ。歯車になって地球を卒なく廻すも、逸脱して世界から追われるも、自分次第。結局はいずれ、魂は星の彼方へ飛んでいき、身は地球へと溶けていく。ならばそれまでにどこまで飛べるか。きみは輪廻を飛び出せるかな。未だ見ぬ20XX年が、きみにとっての最大になればいいね。
6. ゆうやみと、まち
アルバムの中で唯一、アコースティックギターと3人の声のみで構成される音源。けっこうコーラスがしっかり組まれた曲が多い中で、この曲はのんびり歌いたくて。
ひとりぼっちの野良猫のうた。夕焼けを瞳に映しながら、今にも消えそうな色をして都会のベンチに佇んでいる。たいていいつもそこに居て、会うたびにこちらを見つめてくる。木枯らし吹く寒い日は、ぼくの膝で暖を取った。そのくせ人目を恐れて、他の人間が近くを通るたびに怯えた顔をする。こんなにも美しい生命が、この星に溢れるべきだと思ってね。
この曲のみセルフレコーディング。演奏こそ3人で一発録りなものの、たっくさん試した。コンデンサーマイク、58、iPhoneのマイク。さらにそれぞれ録音したものを、ノイズの乗ったスピーカーで流し、それをさらに3種類のマイクで録音など。たった一回の一発録り演奏から産まれた10数パターンにもなる音源の中から、イメージに合致するものを吟味して選んだ。どれを採用したかは、内緒(^^)。ちなみにiPhoneのマイクはけっこう悪くない。
7. 救世主
3人の分厚い歌の3重奏を軸に、コミカルで転々とした展開で進行していく。軽快なビートに、希望とは言えないかもしれぬ"最低"という歌詞を載せて。
誰かに救いを求めようなんて、いつのまにか思わなくなって。音楽に救いを求める人だって、自分の救い方を知っているからライブハウスに足を運ぶ。己にとっていちばんのヒーローは、自分自身なのかもね。
鉄腕アトムの事実上の最終回は「アトムの最期」。この回では、わずか数コマのうちに敵に敗れ散り果てるアトムの姿が、呆気なく描かれている。長年にわたり散々、文字通り日本中のお茶の間に希望を与えてきた英雄アトムは、あまり知られる事なく消えていく。たいてい散り際は儚い。それにしてもあんまりだ。あなたの居ない世界で、帰りを待つ人は救われぬまま一生を終えるのだろうか。命の重さは同じはずなのに、今日も他人事が蔓延る世界であなたの帰りを待っているなんて。
だったら初めから、他人に期待なんてしない。ヒーローなんて頼らない。自分の力で自分を救い続けよう。むしろ悲しみは、アイツのせいにしてやろう。なるべく力強く、なるべく分厚く。図太く生きていこう。そうすれば、輝く未来が待っているかもしれない。
8. めだまやき
常に警戒しなくちゃね。
UFOがやって来るのは、何も空からだけじゃない。ある日突然に、突拍子もなく出現するのだから。気をつけなきゃね。正直、それを待ち侘びていた。浮かぶ街を見ながらフラフラとしていた朝。熱したフライパンに割り入れた液状のやる気のない卵は、瞬く間に固くなりUFOになり宙に舞って彼方へ消えた。
こんな、ふわふわでバカらしいお話で、あなたの泣きじゃくって眠れない夜が少しでも柔らかくなればいいなって勝手に思っている。
なんとも空がキラキラ輝く夜は、べつに考えなくてもいいようなあーだこーだで胸をいっぱいにしがち。健やかに生きてほしいと願うあの人は、ぼくの知らない所でひとりで泣いているかもしれない。モヤモヤと夜を泳いでいるかもしれない。想像と妄想で勝手に迷宮入り。何もできずに居る自分に意味もなく腹を立てたりしながら。バカバカしくなるよね本当。空はこんなにキレイでそこに在るのにさ。なんて。
結局、辛いのも炭酸もいまだに苦手なまま。それでも、たまには頑張らなきゃ。手始めに辛いジンジャエール無理して飲みこんでみる。
ここで生きてるず。
何度も言うが、これは、ぼくが"かいじゅう"から"にんげん"になるための物語でもある。その初めのほうの物語を、今こうして皆と一緒に歩んでいる。大変嬉しく思う。こうして生まれていくメロディが世界中で鳴り響くようになるまで、お付き合い頂けると幸いだ。
以上、セルフライナーノーツ。
本当はね、言葉なんて、解説なんて無くたっていい。だって伝えたい人、伝えるべき人には音楽だけでちゃんと伝わるって事、もう知ったから。それでもなるべく多くの人と、より鮮明に感情を共有したくなってここに記した。難しいとは思うが、これを読んでくれた人のなかに、おんなじ気持ちの人が一人でも見つかれば幸せだ。
それでは「にんげん」をおたのしみに。

p.s.
ジャケット絵はクレパスで描いた。人間が放つ命の輝きと、底知れぬ宇宙の闇と、地元のおっきな花火。いまのぼくが持っているものの全て。人間の持つ命は、いつまでも同じ輝きを放つことはない。ぼくとこの絵がどう変化していくのか、自分自身も楽しみで居る。
カミサマ訪ねて
また引越しをした。繁華街の中心からほんの少しだけ外れた眠らない街。住めば都なんて言うけれど、一年のうちに2回も遷都したのは初めて。これでみんな幸せだ、なんて自身の決断を正当化しながら、網戸の壊れた窓から見知らぬ喧騒を仁王立ちで眺めるなんちゃって皇帝は玉座に腰を落とす暇も無いまま、めまぐるしい毎日に流されている。
引っ越してまもなく、慣れない道を歩き、乗ったことのない電車に乗った。なんとか辿り着いた東梅田の辺りは行くたびに景色が変わってて、いつも意識を曖昧にしてくる。緑のクマが導いてくれたからいいものの。知ってる?大阪駅前第nビル(n=<4,覚えてない)の中にきらきらの空間があること。時代を巻き戻したようなカフェの中、月より丸い照明がいくつも。コンクリ熱と聳え立つビル群の中を歩いた後だから、余計に暖色のにおいを感じる。
いったいこの街には、まだぼくの知らないきらきらがいくつ隠れているのだろう。隠れるなんて勿体無いのに。いや、隠してるからこそ美しいのか。
また新しいきらきらを教えてくれたあなたが、口元を隠して笑う。いままでは、テキスト越しか、ステージでの歌くらいでしか温度を受け取れなかったから、声がより鮮やかに届く。ひとの痛みを知っている、控えめで優しい声。あたなが生きることに苦を感じるこの世界に、神は居ない。というかあなたの世界にはそもそも神は居なかったね。大乗の端に乗っかてるぼくには、誰かを救うなんて到底できない。ぼくが誰かのためになんて言いながら人を殺したら、あなたはどう思うのかな、なんて。
大阪に来て2年半にもなるのに、帰りの電車は間違えた。めまぐるしすぎて、遠目で見たら普通になっていく。生活が凸凹すぎて、ちょっと俯瞰しただけで瞬く間に海苔波形になる。これで大丈夫。他人からの見た目が平らで、穏やかならひとまず安心する。自分のことなんて誰にもわかってほしくないんだって何度も言い聞かせながら。
口ではそう言いながも、やっぱり神なんて居ない。居ない方が今は都合が良い。ずっとあなたを探してるから。カミサマを訪ね、世界を歩く。ゴールを知ってしまえば、別に手に入れなくてもよくなる。だからどうか現れないで。
いままで集めたきらきらを数えながら願う。7つ集まってしまう前に、ひとつずつ壊れちゃえばいいのに。今を生きる事に必死なフリをしながら、そうやって永遠を探してる。

日常を転覆させてまで
幸せの形をした箱舟に、じんわり海水が入っていくのを眺める。
恒久的な幸せは心に安らぎをくれる。だから知らないフリをしながら。
長年連れ添った人とお別れした。
安心にすがればすがるほど、醜くなっていく。安心がまけまけいっぱいに注がれたお風呂に浸かりながら、感情の棘や切れ味が無くなっていくのを感じていた。これだけ持っていれば穏やかに生きられるような、慈愛に満ちた気持ち。このままの生活が続けば一生幸せだと思える気持ち。それは人間にとってどれだけ幸せなことだろう。幸せであるべきなのだろう。変わらないものなんてないよ~。歌の中の自分がよく言う。いつか終わると知って。生き急がなくちゃね。空の青さに憧れて。なんて。でもね、変わらないことは可能なんだ。変えないように生きることはできる。そうしたら表現者で居ることも辞められるだろう。でもそうやって凪の生き方をしているうちに、人を人間たらしめている醜悪で手の付けられないような、輝く感情を失っていった。
いつのまにかぼくは、表現者であり続ける事を選んでいたのだろう。気づけば思考のベクトルのほとんどが内向きだった。深いところまで潜り込み、狭い視界で外界を見渡す。そんなとき、自分以外の人間と真に向き合えるわけがない。結果まわりの人間も、一番近くに居る人も大切にできぬまま、日は沈んだ。夕暮れにつられて。たぶんね、他人の中にぼくが棲むことが怖かった。孤独を愛せないくせに。放った拒絶はそのまま跳ね返ってじんわり皮膚を刺してくる。
呆然としながら、明日の行き先を考えるフリをしている。また、世界に色がつく日が来るのかな。色の無い闇に背中を押されながら、帰る場所を探す。どれだけ目を大きく開いても、薄眼のまま映るような景色。
ぼんやりした視界の中、青信号に変わるのを待っている。
ばか自分で変えなきゃ。なんて、そうやって全部自分でやろうとしたからだよ。いつか人の目を見て話せるようになれば、いいな。
さよなら、いままでのぼく。

ダイラタンシーの海
片栗粉でつくったような、硬くて厚い雲をボ~っと眺める。
むしろ修羅の国だよここは。なんて思いながら。
この国は生きやすい。というか、生命を維持しやすい。生活から抜け出すのは容易く無い、生暖かくて可もなく不可もない半快適な環境に、人々は自ずと甘えてしまい深く根を生やしている。ほんのちょっと頑張るだけで生きられてしまう。ただ周囲を見渡して背を比べ、波に身を任せているだけ。こうして、半永久的に続くけれど、”鈍くて薄いゆえに何とか耐えられてしまう不幸せ”に慣れ、飴を削り続けて生きる。凪の海を眺め続け、塞ぎ込むような。
海があんなにも綺麗なのは、こっちへおいでと手招きしているから。一線を越えた者だけが到達できる世界へ。海はその圧倒的な強さと美しさで、見る者を常に魅了し続ける。ただでさえヒトは、太刀打ちできないほど壮大な自然には、無意識に惹かれてしまうから。生命なんて簡単に飲み込んでしまうような怖さや危うさも、その美しさに拍車をかける。だが海は何人の冒険も優しく受け入れたりはしない。この星で、かけがえのない宝を得るには、深淵より深い闇を越えなければならない。そこはかとなくそこにある海。それに安易に足を踏み入れて翼を捥がれた者がどれだけ居るだろうか。
これ以上、夢見る犠牲者を増やさないために、血の海にしておこう。希望なんてものがあるから、人は傷を負うんだね。だったらいっそ光輝く美しいものはすべて、この星から消し去ってしまおう。途端、この星から美しい蒼は失われ、まるで使徒を待つかのように殺伐とした、巨大なざくろ石が完成する。このまま時計を進めて様子を見よう。さて、癒しを失った人々は、挑戦はおろか歯車である事すら忘れて停止し始めた。皆が同じ方向を向いて生きる。やはりそこに希望はなく、ただ日々生活を繰り返すのみ。人々の目線は日に日に下を向いていき、空を見上げるどころか前を見つめて生きる人すら、居なくなってしまった。そして滅びる。どうやら人間には、光やら希望やらが必要らしい。たとえそれが他人事だったとしても。
だったらもういっそのこと、海の水はぜ~んぶ、ダイラタンシーにでもしておこう。これなら本気で地面を蹴り続ければ渡り切ることもできるでしょ。もちろん止まれば沈む。沈んで二度と浮き上がって来られないだろう。まぁ、簡単だよただ走り続ければいいだけ。むしろその程度の覚悟すら無い者は、一生その辺で文句垂れてボ〜っとしていればいい。容易に未来を得られるワケが無いのだから。
決めつけないでね、限界。
そうだな。とりあえず片足だけでも踏み入れてみるとしよう。最悪引き返せるのだ、意外とね。だけどその一歩で世界は必ず変わる。
そうやって一つずつ、誰も観た事のない景色、たくさん集めて。
はやくね。
