銀河を超える光に

地球生まれ、地球育ち、地球語を話す

MENU

セルフライナーノーツ 1st mini album『にんげん』

こんにちは、人類。

 

ここで生きてるずは
2024.10.09(水)にTOUGH&GUY RECORDSより
初の全国流通盤「にんげん」をリリースする。

 

この記事は、アルバムに対する半分ネタバレのようなものなので、読んでから聴くか、聴いてから読むか、一切読まぬか、みんなそれぞれ好きに。セルフライナーノーツなんて言ってはみたものの、そもそもぼくの書く曲は基本的に主語が大きいので、解説もかなり抽象的な内容になる。それでもよければ読み進めてね~。

 

では続ける。

 

1. 全宇宙へ…

常闇の宇宙、もしくは真っ白で永遠の空間。とにかく何もない空間の中、遠くの方から命がギラつく音が聴こえる。音は徐々に迫ってきて、膨大で手のつけられないような生命力を見せつける。これは今のぼくたち。突如産声をあげ、宇宙を目指し今まさに発進するぼくたちの姿。渦巻いたり、唸ったり、途切れたりしながらも、その存在を大きくしていく。生命のはじまりだったり、ビックバンだったり。その前兆がこの音だ。

録音の話。基本はギターのフィードバック。それにディレイ、フェイザー、歪みをいじってうねりを作る。ギターエフェクトの類は、細かりリバーブやEQ以外はすべてアンプから出る音を生で録音している。

あと、モールス信号のアルファベットは、ローマ字読みできるようになっている。ヒマな方はぜひ。

 

2. かいじゅう

この曲は先の7/7に、レーベル所属&先行リリースとして世に出ている。ここで生きてるずが、宇宙へ飛び立つためのアルバムのその1曲目。何を隠そう、今のぼくたちは、ただの"かいじゅう"である。心から"にんげん"になるためには、この世に存在するすべての感情を知らなければならない。悲しくなったり、行き詰ったり、泣いちゃったり。もっともっとあるはずの気持ち。暴れたり叫んだり、モヤモヤしたり。いっそこの街をキミごと踏みつぶしてしまおうなんて。きもちをうまくアウトプットできないうちは、やっぱり"かいじゅう"だ。

うまくやればいい。でもそれって、大人になるって事なのかな。感情の振れ幅に閾値を設けて、それを超える感情はカットすればいい?そうしてしまえば"にんげん"を通り越して遠のいていく気がして。"にんげん"って、かいじゅうとロボットとの間に存在するのかも。今はにんげんになんてなるもんか、大人になんてなるもんか、と細やかに抵抗しながらも、やっぱり誰よりも"にんげん"で在りたいと願う。じぶんにウソをつかないように。気持ちに素直なまま生きてこ~ね~。

3. 三千世界

あっという間の事。だから今までで一番短い曲になった。気持ちって、ほんの一瞬でたくさん移り変わることができる。その一瞬をなるべく永遠に引き延ばせないかなと、思いつく方法は大体これ。音楽になるべく新鮮に感情を閉じ込めて、保存しておくこと。今回はまぁまぁうまくいった。いつ歌っても鮮明に思い出すくらいには。詰め込むことが多すぎて早口になっちゃったけど。

それにしても、大切な場面っていつも一瞬で困る。あなたの横顔越しに見た知らない街の景色。寒くて遠い星空。目を合わせては逸らして。口元を隠して笑うあの人は、世界の全てを知っているのかな。ぼくの知らない輝きをたくさん知っているから。やっぱり遠い星からやってきたのかもしれない。その声に、その目線に、時間の流れごと吸い込まれてしまう。

あなたが穏やかに生きていけない星なんて、間違ってる。あるいは美しい心を持っているあなたが生きるには、この星はゴツゴツしてて歩きにくいし、棘を生やし過ぎていて痛い。今も、自分のせいで誰かの人生を変えたくないとか考えながら小さくなっているかも。たとえそれを相手が望んでいたとしても。にんげんの心に底なんて無いと気付かされて、世界の理にそっとフタをした日の話。

 

4. 旅路果てる街

旅の終着点は故郷、いつか帰る街のうた。

曲名に“街”をつけたらさ、なんとなく形には、なんとなく作品っぽくはなるが、同時に、否が応でも郷愁へ向き合うべきだ、という責任感のようなものを強く感じてしまう。なので避けがちではあったのだが、むしろノスタルジーに託けず、過去と未来に対して誠実に向き合うべき時に、“街”と付けることにした。
光刺さる街→轍次ぐ街。そして過去と未来を結び付け、いつか帰るべき場所を探すのが、旅路果てる街。今回は、ここで生きてるずの"街"三部作の最終章。太陽の眩しく照らす街を離れ自身で輝くと意気込んだ光刺さる街。離れ故郷を離れ新天地での自身の在り方について歌った轍次ぐ街。今作はさらに過去と現在を激しく行き来し、未来への解像度を高めていく姿を描いている。最終章といっても、現時点を以て旅を終えるという訳ではなく。成し遂げるべき、向かうべき未来を描いた曲。光刺さる街、轍次ぐ街、今作、と段々テンポが遅くなっていくのは、大人になればなるほど、記憶や歴史をしっかりと噛み締められるから。

生活を営むために都会に居ても、内燃を再確認するために故郷に居ても、遠征先の見知らぬ土地に居ても。どこまで行けど帰る場所が見当たらない。しっくりこない。居場所が無く、フワフワ浮遊しそうになる。それはぼくの中身がスカスカで、地球の重力では地に足付けられないからだろう。スポンジ状の心に、これから何を沁み込ませようか。それでも体の芯にあるのは、幼き頃に受けた得体の知れぬ温かい光。この記憶が明日には消えるとしても、思い出の中であの日に連れて行ってくれる。そのおかげでぼくは、重力の薄いこの星でも、何とかギリギリ自分を保っていられるのだろう。

夢には賞味期限がある。昔あれほど叶えたかったにもかかわらず、時間が経ちすぎると、満を持して手に入れたとしても「こんなものか」と味気なくなり悲しくなる事がある。急がなければ、叶えど叶わなけれど、虚しい夢の残骸を積み上げることになる。

夢には消費期限もある。どれだけ想いを伝えたくても、どれだけ恩返しをしたくても、時間が経ちすぎると、その人はもう居なくなる。手遅れになる前に。胸を張って帰るには、叶えなければならぬ夢が多すぎる。時間は限られているという事、誰よりも知っている。だからなるべく前に進まなければならない。

なにより、時間が経ちすぎると、想い出は薄れていく。時計の狭間で微睡むたびに、新鮮な感情も匂いも遠くなっていく。少なくとも今は、生涯のうちに浴びてきた温かい感情を覚えておきたいと願っている。忘れないうちに、薄まらぬうちに、どこかに残しておくことが出来たら。半透明で灰色の、まるで鈍いゼリーの中を進むような感覚。重量を持った空気が身を包む。このまま、どこへ進むべきか。何をやっても中途半端なぼくが、いつか己の表現に包み込まれる日が来ますように。

 

5. ボーントゥリヴ

ぼくが産まれたのは20世紀。100年刻みの定められた定規に意味なんてないのと同じように、24時間365(366)日で繰り返す毎日に意味なんてないのかもしれない。でも多分なんとなく、本当になんとなくだけど、つまんない生き方はしない方が良い。だからこうやって、人生にムリヤリ節目を刻みセーブポイントを作っている。

地べたを這うようなサウンド。ギターはファズで歪ませた1本。スネアも他の曲と比べると、乾いた音をしている。ここで生きてるずの大半の楽曲は"今"を歌っているが、この曲は少し違って、歌っていると自分自身の人生の軌跡を俯瞰しているように感じる。

勿論、もうハッキリとは覚えていないが、産まれ落ちる直前、神にやめとけと言われた気がした。神の忠告を無視して産まれ落ちたこの星。ここには神なんて居ないのに。

輪廻転生。繰り返して繰り返して。ぼくたちは、無常に繰り返すリフレインのうちのどっかのタイミングに居るってワケ。歯車になって地球を卒なく廻すも、逸脱して世界から追われるも、自分次第。結局はいずれ、魂は星の彼方へ飛んでいき、身は地球へと溶けていく。ならばそれまでにどこまで飛べるか。きみは輪廻を飛び出せるかな。未だ見ぬ20XX年が、きみにとっての最大になればいいね。

6. ゆうやみと、まち

アルバムの中で唯一、アコースティックギターと3人の声のみで構成される音源。けっこうコーラスがしっかり組まれた曲が多い中で、この曲はのんびり歌いたくて。

ひとりぼっちの野良猫のうた。夕焼けを瞳に映しながら、今にも消えそうな色をして都会のベンチに佇んでいる。たいていいつもそこに居て、会うたびにこちらを見つめてくる。木枯らし吹く寒い日は、ぼくの膝で暖を取った。そのくせ人目を恐れて、他の人間が近くを通るたびに怯えた顔をする。こんなにも美しい生命が、この星に溢れるべきだと思ってね。

この曲のみセルフレコーディング。演奏こそ3人で一発録りなものの、たっくさん試した。コンデンサーマイク、58、iPhoneのマイク。さらにそれぞれ録音したものを、ノイズの乗ったスピーカーで流し、それをさらに3種類のマイクで録音など。たった一回の一発録り演奏から産まれた10数パターンにもなる音源の中から、イメージに合致するものを吟味して選んだ。どれを採用したかは、内緒(^^)。ちなみにiPhoneのマイクはけっこう悪くない。

7. 救世主

3人の分厚い歌の3重奏を軸に、コミカルで転々とした展開で進行していく。軽快なビートに、希望とは言えないかもしれぬ"最低"という歌詞を載せて。

誰かに救いを求めようなんて、いつのまにか思わなくなって。音楽に救いを求める人だって、自分の救い方を知っているからライブハウスに足を運ぶ。己にとっていちばんのヒーローは、自分自身なのかもね。

鉄腕アトムの事実上の最終回は「アトムの最期」。この回では、わずか数コマのうちに敵に敗れ散り果てるアトムの姿が、呆気なく描かれている。長年にわたり散々、文字通り日本中のお茶の間に希望を与えてきた英雄アトムは、あまり知られる事なく消えていく。たいてい散り際は儚い。それにしてもあんまりだ。あなたの居ない世界で、帰りを待つ人は救われぬまま一生を終えるのだろうか。命の重さは同じはずなのに、今日も他人事が蔓延る世界であなたの帰りを待っているなんて。

だったら初めから、他人に期待なんてしない。ヒーローなんて頼らない。自分の力で自分を救い続けよう。むしろ悲しみは、アイツのせいにしてやろう。なるべく力強く、なるべく分厚く。図太く生きていこう。そうすれば、輝く未来が待っているかもしれない。

 

8. めだまやき

常に警戒しなくちゃね。

UFOがやって来るのは、何も空からだけじゃない。ある日突然に、突拍子もなく出現するのだから。気をつけなきゃね。正直、それを待ち侘びていた。浮かぶ街を見ながらフラフラとしていた朝。熱したフライパンに割り入れた液状のやる気のない卵は、瞬く間に固くなりUFOになり宙に舞って彼方へ消えた。

こんな、ふわふわでバカらしいお話で、あなたの泣きじゃくって眠れない夜が少しでも柔らかくなればいいなって勝手に思っている。

なんとも空がキラキラ輝く夜は、べつに考えなくてもいいようなあーだこーだで胸をいっぱいにしがち。健やかに生きてほしいと願うあの人は、ぼくの知らない所でひとりで泣いているかもしれない。モヤモヤと夜を泳いでいるかもしれない。想像と妄想で勝手に迷宮入り。何もできずに居る自分に意味もなく腹を立てたりしながら。バカバカしくなるよね本当。空はこんなにキレイでそこに在るのにさ。なんて。

結局、辛いのも炭酸もいまだに苦手なまま。それでも、たまには頑張らなきゃ。手始めに辛いジンジャエール無理して飲みこんでみる。

 

 

ここで生きてるず。

何度も言うが、これは、ぼくが"かいじゅう"から"にんげん"になるための物語でもある。その初めのほうの物語を、今こうして皆と一緒に歩んでいる。大変嬉しく思う。こうして生まれていくメロディが世界中で鳴り響くようになるまで、お付き合い頂けると幸いだ。

 

以上、セルフライナーノーツ。

 

本当はね、言葉なんて、解説なんて無くたっていい。だって伝えたい人、伝えるべき人には音楽だけでちゃんと伝わるって事、もう知ったから。それでもなるべく多くの人と、より鮮明に感情を共有したくなってここに記した。難しいとは思うが、これを読んでくれた人のなかに、おんなじ気持ちの人が一人でも見つかれば幸せだ。

 

それでは「にんげん」をおたのしみに。

 

 

p.s.

ジャケット絵はクレパスで描いた。人間が放つ命の輝きと、底知れぬ宇宙の闇と、地元のおっきな花火。いまのぼくが持っているものの全て。人間の持つ命は、いつまでも同じ輝きを放つことはない。ぼくとこの絵がどう変化していくのか、自分自身も楽しみで居る。