さようなら2025年の人類。
故郷に居た頃は、2025年なんて近未来の話だと思っていた。例年にも増してあっという間に終わる一年。昭和100年って結構気に入ってたけれどな。かくしてこの年末ブログを書き始めたのは2年前2023年、扁桃摘出術の痛みで年越しそばはおろか何も食えず、手持無沙汰で血を吐きながらキーボードを打った記憶がまるで昨日の事のように蘇る。
2025年、ここで生きてるずは7月にライブを休止し、修業期間に入った。たくさんスタジオに入ったり、曲を作ったりしているが、やっぱりあの興奮、ライブに勝るものは、あんまりない。この期間で、ライブに対する気持ちはかなり変わった。というか広い視点で考えられるようになった。自身の表現をより突き詰めるために必要なモノ、あり過ぎて困惑しながら生きている。着実に前進している事が唯一の救い。
ライブをお休みして気づいた事、もうひとつ。
バンドって割と、思っているよりも正当に評価されている。音楽の良し悪し、人の持つ惹きつける力、キャリアetc…様々な物差しが幾重にも重なっており一見複雑に見える。その物差しを読めうちは、理不尽だとか、大成はほんの一握りだとか言う。そもそも売れるには売れるための器が必要であり、器も持たぬ者がのし上がる事は無い。あと、卓越した思考を持っている人より、思考とアウトプットとのバランスが良い人の方が表現として優れる、とか。細々した気づきは無限にあった。良いものはけっこう、ちゃんと評価されているのだ。
とやかく言いつつも、何年も前から志は変わっていない。生き急ぎながら、己の表現をひたすら磨いていくこと。音楽を大きく、というよりも広げていかなければならない。闇雲に声を張り上げたり、無闇にツマミをひねっているうちは、すぐ近くに限界があった。最近はようやく、かえて天井が見えなくなってきた。ワクワクします。ワクワクし続けられたらそれは人間としてけっこう幸せだと思う。
最後に皆にメッセージ的な。
ここで生きてるずを応援してくれている皆へ。
休止からまだ半年も経っていないけれど、もう忘れられる頃だと思います。これを機に一度、居ない者としてまたゼロから始めてみたい気持ちもある。けれど、ライブもリリースも無い中で、それでも待ってくれている人が居る。直接メッセージをくれた人も、陰ながら応援してくれている人もみんな。これは大変に嬉しいし、当然期待以上のお土産を持って帰ってきます。それまで元気で居てね。
家族へ。
胸を張って家に帰るまで、かなり時間がかかってしまっている。たまに顔は見せますが、志の半ばですので、余裕のない日々に心配をかけてしまっていると思います。なるべく早く、元気に帰れるように努めるので、どうかこのままお元気で居てください。
バンドメンバーに告ぐ。
帰省の最中、テレビを見てダラダラ云々、家族と談笑云々は結構。ただその間に僅か一瞬でも音楽を成し遂げる志を忘れる瞬間があった場合、この街に舞い戻る資格無し。これから成そうとしている事は、前人未到のシナリオ。それすら見えていないならば視えるまで音を突き詰めろ。年が明けると同時に音楽は加速していく。生活を捨て、表現を突き詰める覚悟が無ければ、帰ってくるべからず。今一度、現状と向き合い、熟考されたし。
とは言いつつもぼく自身、正直、変化はもうこりごりだ。でも仕方ないのだ。こういう時に限って、どうせ何もかも変わっていく。むしろ変わろうとしているうちは何も変えることが出来なかった。変化は行動の結果、実際それが今起きつつある。半分くらいは予想の範疇。もう半分は良くも悪くも分からない。沢山考えた結果、来年は運を天に任せることにする。
ではみんな、よいおとしを。
