銀河を超える光に

地球生まれ、地球育ち、地球語を話す

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俯瞰ディナヴィア半島

メスを入れられる2時間半前。心は凪の海のように、極めて穏やかだった。というより、只ポカンとしていたのかもしれない。とにかくそこで1つハッキリ気がつく。

おれは今、生きることに身が入っていない。からっぽ?というか上の空というか。生き甲斐を言語化できずにいる。気持ちを総スカンして己を俯瞰、如何せん実感が無いのだ。この世に生を受けている、受肉しているという実感がまるで皆無。

 

もちろん幸せなのだ。むしろ幸せ故に。問題はそこに生き甲斐を感じられるかどうか。

例えば幸福度の高い北欧の自殺率は低くない。緯度の高い地域は燦々照りつける太陽を浴びることが出来ない為、生命力を光合成しにくい。自然環境や孤独が生命力を削ぐのに一躍買っている。幸福=生き甲斐 とは限らない。が、生き甲斐と生命力は近いかもしれない。

 

だったら生き甲斐とは。

 

たとえばそれは、生きざるを得ない状況に置かれる事。そのためには生を実感しなければ。

多分、多分ね。人間は痛みを知ることで生を実感する。幸せ、満たされ、怒り、このどれもが感情を大きく動かす力を持っているが、圧倒的な生の実感は、やはり痛みが手っ取り早い。痛みは一般的には苦痛に分類される。日本である程度幸せな生活をしていると、自ら摂取しようとすると億劫だ。だからここに居るのかもしれない。

 

こうやって人間は、日に日に同じ"うた"を書けなくなっていくんだよ。世界が自分中心で廻っているうちは、身から出る表現も自分の殻を突き破れない。あなたは痛みを知っている。痛みを知らないおれが、いつもあなたにうまく手を差しのべられないのが何よりの証拠。生まれてからずっと地球の隅っこで生きているあなた。日々、あなたをファインダー代わりに使っているような感覚に罪悪感を覚えながらも、沢山知らない感情を知った。

 

きょうは初めて自分の意思だけで、新しい感情を知る日。心はまだ凪のまま、実感は未だ皆無。

 

これは、痛みを知るまえの記憶の記録。


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